集合の最小要素がそのまま集合だったら
カンタンの為に「まず集合というものが有る」としてみましょう・・。
例えば学校でいえばクラスが『集合』です。クラスはおよそ40人のメンバーから出来ていることは誰でも知っていますね・・。その場合に一人一人のメンバーのことを集合の『要素』または『元』っていいます。ここから学年というのは各クラスが集まったものですから『集合族』という場合があります。それは辞書に書いてアリマスが数学ではあまり使いません。むしろ『集合を要素とする集合』という概念をワリとフツウに扱うのです!「地域の学校」だって集合ですけど、その要素は本質的に一人一人生徒たちである以前に、その地域の一校一校の学校です。それで「地域の学校」とは「学校(という集合)の集合」だと扱うのがフツウです。
話を逆に「集合の要素は集合なのかどうか?」という観点から論じてみます。
定義ナシにⅠ類だとかⅡ類だとか難しい言葉を使ってしまいましたけどⅠ類とは「自分自身を含む集合」のことでⅡ類とは「自分自身は含まない集合」のことです。これはラッセルのパラドクスという難問を引き起こすのですが「そもそも“自分自身を含む集合”って何だ?」ということですよねえ!A図書館にはA図書館蔵書目録という本が置いてあって開いてみると最後にちゃんと“A図書館蔵書目録”って書いてあることだと考える人が多いみたいですけどドウでしょうかね。そんな言葉尻に引っかかっていてイインでしょうか、皆さん。
私は「集合の要素もまた集合というのかどうか?」という別の本質を論じてみます。
任意の自然数nと言った場合のnはそのままで集合なのかどうか、という話に帰着させました。(世界初の快挙?だと思うのですが寡聞にしてシリマセン!)もし任意の自然数nがそのままで集合ならば「nは自分自身を含む集合」だということになりますからⅠ類です。その場合にはn={n}は否定されません!同じものに関してnは要素を表す書き方であり{n}は自分自身を含む集合であることを表す書き方です。ここに読者諸賢は論理的な穴を感じるかも知れません・・。が、カントルだって同じだろうと高をくくって私は次に進みます。対角線論法の論理と良く似ているんです。
Ⅰ類の集合とは「各要素もまた集合であるもの」であり、Ⅱ類の集合とは「各要素は集合とはしないもの」だと定義したら、Ⅰ類はⅠ類のままで推移してⅡ類はⅡ類のままだからパラドクスは起こりません!これは数学には二つのタイプが存在することに起因しています・・。
もし「任意の自然数よりも大きな有限数を探せ!」と言われたらどうしますか?
Ⅰ類の数学だったら記号を仮定するだけで創れます。「それををωと置く」とかすればイイんです。ところがⅡ類の数学ではn≠{n}であって(さらに)「{n}は明らかにすべての自然数を表す」ことが分かってしまいますから無駄です。非存在がすぐに導かれますからね・・。解析学でいうとⅠ類数学は19世紀以来の伝統的な数学であって名を【標準解析学】といいましてⅡ類数学は【超準解析学】だということになります。
こうしてラッセルパラの解決だけでなく数学の分類まで良い仕事が出来ました!
例えば学校でいえばクラスが『集合』です。クラスはおよそ40人のメンバーから出来ていることは誰でも知っていますね・・。その場合に一人一人のメンバーのことを集合の『要素』または『元』っていいます。ここから学年というのは各クラスが集まったものですから『集合族』という場合があります。それは辞書に書いてアリマスが数学ではあまり使いません。むしろ『集合を要素とする集合』という概念をワリとフツウに扱うのです!「地域の学校」だって集合ですけど、その要素は本質的に一人一人生徒たちである以前に、その地域の一校一校の学校です。それで「地域の学校」とは「学校(という集合)の集合」だと扱うのがフツウです。
話を逆に「集合の要素は集合なのかどうか?」という観点から論じてみます。
定義ナシにⅠ類だとかⅡ類だとか難しい言葉を使ってしまいましたけどⅠ類とは「自分自身を含む集合」のことでⅡ類とは「自分自身は含まない集合」のことです。これはラッセルのパラドクスという難問を引き起こすのですが「そもそも“自分自身を含む集合”って何だ?」ということですよねえ!A図書館にはA図書館蔵書目録という本が置いてあって開いてみると最後にちゃんと“A図書館蔵書目録”って書いてあることだと考える人が多いみたいですけどドウでしょうかね。そんな言葉尻に引っかかっていてイインでしょうか、皆さん。
私は「集合の要素もまた集合というのかどうか?」という別の本質を論じてみます。
任意の自然数nと言った場合のnはそのままで集合なのかどうか、という話に帰着させました。(世界初の快挙?だと思うのですが寡聞にしてシリマセン!)もし任意の自然数nがそのままで集合ならば「nは自分自身を含む集合」だということになりますからⅠ類です。その場合にはn={n}は否定されません!同じものに関してnは要素を表す書き方であり{n}は自分自身を含む集合であることを表す書き方です。ここに読者諸賢は論理的な穴を感じるかも知れません・・。が、カントルだって同じだろうと高をくくって私は次に進みます。対角線論法の論理と良く似ているんです。
Ⅰ類の集合とは「各要素もまた集合であるもの」であり、Ⅱ類の集合とは「各要素は集合とはしないもの」だと定義したら、Ⅰ類はⅠ類のままで推移してⅡ類はⅡ類のままだからパラドクスは起こりません!これは数学には二つのタイプが存在することに起因しています・・。
もし「任意の自然数よりも大きな有限数を探せ!」と言われたらどうしますか?
Ⅰ類の数学だったら記号を仮定するだけで創れます。「それををωと置く」とかすればイイんです。ところがⅡ類の数学ではn≠{n}であって(さらに)「{n}は明らかにすべての自然数を表す」ことが分かってしまいますから無駄です。非存在がすぐに導かれますからね・・。解析学でいうとⅠ類数学は19世紀以来の伝統的な数学であって名を【標準解析学】といいましてⅡ類数学は【超準解析学】だということになります。
こうしてラッセルパラの解決だけでなく数学の分類まで良い仕事が出来ました!
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