ユニバーサルフロンティア理論は世界を救う

世界初のデジタル宇宙を主張するユニバーサルフロンティア理論のブログです。素粒子標準模型の幻惑から世界を救うことを目標としております。

不完全性定理は間違っていることが判明した!

やまのかずひさ
ゲーデルの論理は具体的な命題であるGすなわちゲーデル命題を述語論理の手法によって解析していくといったものである!

 ということになると裏を返せば述語文で記述されるゲーデル命題の定義を命題論理の手法で解析していくといった手法も念頭に置かねばならなくなる。ゲーデル命題をG、証明可能をP、で表わせばG⇔(G⇒¬P)というのがゲーデル本人に基づく定義である。これだと反ゲーデル命題¬Gが¬G⇔(G⇒P)になってしまうのが難点である。この種の論理構成の結末は私がクォーク命題とか中間子文とか名付けたようにクォーク命題と反クォーク命題とが中間子結合を果たして矛盾が合理化されてしまう・・。それらの事情は原子命題にしても同じことで、

太郎「太郎は犬を飼っている」
¬太郎「太郎は犬を飼っていない」

にしたって「犬を飼っているのが太郎であって犬を飼っていない人は太郎じゃない」という風に不合理なくすらすら読める。私としたらここまで解明して完全に好い気になっていたのだが今回のここ数日の考察によればさらに大きな進展があった。

ゲーデルは「Gは命題(Gは証明できない)と同値である」と定義したのだがそれでは¬Gの定義が甘くなる・・。

 Gは自己言及文のまま進展させることが可能で、たとえばG⇔(G⇔(G⇒¬P))とやったら⇔(G⇒¬P)だから二回に一回は定義に使えるが、¬Gは元が自己言及文の形でないからか、¬G⇔(¬G⇔(G⇒P))とやったら右辺が⇔G∨¬Pなのが原因となってG⇔¬Gになってしまうのだ。もちろん述語文を命題論理のまな板に乗せていいかどうかの問題が残るとしてもゲーデル命題だって具体的な命題だったのである。具体的な数学命題がひねくれた自己言及文「この命題は証明できない」と同値だとしたら~、という世界だというのが本来の姿である。

命題Gは証明できないがゆえに命題Gであり数学において証明できない命題はすべてこの命題Gと同値である・・。

 このひねくれた定義の意味だって分からなくもない。証明できないこと、と命題の成立とが同値であるならばゲーデル命題性が明らかになれば正しいことが分かってしまい、証明されたと同じになるので証明不可能性と矛盾してしまう。だけどそれはωとω+1の話と同じである。さらに《第二不完全性定理》と「この体系(数学のこと)は矛盾している」とは互いに無矛盾だという。「無矛盾な数学体系である限りは己の無矛盾性を自ら証明することはできない」と「数学体系は矛盾している」が両立するんだと!

ということは数学体系に「ゲーデル命題である限りは真」を付け加えたら数学は矛盾した体系だということにされてしまう・・。

 私はこれらすべての大騒動の原因はゲーデル自身による定義の甘さによるのじゃないかと思っている。なぜならば当方の手法による解析に基づけばGと¬Gとはexclusive(背反)ではないからだ。正しい定義は、

G⇔(G∧(G⇒¬P)) と ¬G⇔(¬G∧(G⇒P))

そして、こう定義したら不完全性定理は導かれない・・・・・・・・・・・・・。(合掌)